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ありがとうと言われる仕事

2025-11-10
築に大義を求めるようになったのはいつからだろう。
いや、求めるようになったのではなく、当たり前に考えること と認識を改めたのかもしれない。
窓の配置や素材の選定や設え方。
なぜそこに窓が必要なのか、なぜ壁の仕上げはその素材なのか。
空間構成を考える上で、それらを深掘りしていくと建築とは環境共生と共にあることに気が付く。

─とはいえ、ウチのような地方工務店は大きなビルを建築するわけでもなく、世の中に与える影響は微々たるものだ。
しかし、サーキュラーエコノミーやSDGsが叫ばれる昨今、たとえ影響が小さくとも無秩序な建築行為が少なくなることで、次世代の社会に良い影響を残せるはず。
自然美の探求と併せてコツコツ継続していきたいところである。

[環境との共生]を目指すうえで我々ができるアプローチに、廃材の削減、建物の長寿命化、省エネルギー化、景観との調和、地域材の活用などがあげられるだろうか。
これらは新築工事だけではなくリノベーションのような改修工事にも配慮されて然るべきである。

例えば、建材には土に還る自然素材を使用すること。(再利用しやすくすること)
耐震補強を行い堅牢な構造体を長期にわたり健全な状態に保てること。
高断熱を図り機械的なエネルギーを省力化すること。
今ある既存物を再利用すること。

意識の高いクライアントは私が言うまでもなく上記要件を満たしたいと考えていることが多い。
その場合、目指すべき建築が近いためか設計に組み込みやすく非常にやりやすい。
しかし、春先から動き出していたリノベーション案件では、そのすべてを網羅しているにも関わらず何か物足りない気がしていた。
一体何が足りないのだろうか?
その答えを建築的な仕掛けで補おうと試行錯誤するも、設計段階でその確信に触れることはできず…
現場管理をしながら形になっていく様を見ても、そのモヤモヤは取れずにいた。

─現場が進行して2か月ぐらいだっただろうか、ご家族の表情が明るくなっていくことに気が付く。
特段何か新たな提案をしたわけでもなく、クライアント側の要望を組み込んだわけでもない。
既存の内装を解体し、問題のある場所は指摘し補強を促すことはしたのだが、目新しいことをしたつもりはなかった。
蓋を開けてみないとわからないリノベーション現場はその場の判断を迫られる場面が多く、正直現場を切り盛りするだけで精一杯なのだ。
そうこうしてるとあっという間に竣工を迎えた本案件。

「では、これで引き渡しさせていただきます。」との言葉と同時に、待ってましたと言わんばかりに居間の畳にて転げながら喜ぶお子さんたち。
その後「家、ありがとうございました。」とまっすぐに言われようやく気が付いた。
この建物は3世代で住む家。打ち合わせ時にも何か言いたいことを飲み込んでそうな親世帯・子世帯の意見を出していただくことから始まった。
打合せ時に率直な意見を交わしあう場面もあったが、完成形を見るまではやはり不安だったのだろう。すっきりとした皆さんの表情をみて、私のモヤモヤも晴れていた。
何を言おうが、建築はクライアントが満足しなければ成り立たない。いくら社会的に素晴らしい建物でも、環境共生に配慮した建物でも、そこが満足できなければいい建物とは言えない。
今回の建物で何か足りないと感じたのは、設計段階でのクライアントとの共鳴だったのかもしれない。
それはいくらイメージパースを見せても、図面とすり合わせても、結局は竣工しないとわかり得ないものだったのだろう。
何か足りないわけではなく、特別なギミックが必要なわけでもなく、私にはただ実直に現場と向き合うことを求められていたのだと思う。
それは、こちら側としては当然のことだが、それ以上のこと(建築に大義)を求めるクライアントは稀だ。
いつの間にか建築に多くを求めていた自分を恥じると同時に、実直に要望に応えることの大切さを痛感した。
更に言えば、この複雑に歪んだ社会で「ありがとう」と言われる仕事ができる現状に感謝しなければならない。そんなことに気が付いたリノベーション現場だった。
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