One
2026-4-13
「どうする?」と突然届いたDM。
内容は、[LIVE AZUMA2025]へのお誘いだった。
そのDMをくれたのは、学生時代から20代の前半までを東京で共に過ごした友人。
彼とは音楽やファッションの感性が近く、いろんな音楽を聴いてきた。
特に学生寮で生活をしていた頃は、遅くまで音楽について語り合ったものだ。
その当時のルーツともいえるRIP SLYMEの活動休止が確定したこともあり、「最後に観ておきたい」という思いだったらしい。
RIP SLYMEといえば、我々世代では知らない人はいないであろう。
説明不要のキャッチーな楽曲が当時のヒットチャートをにぎわせていた。
そんな彼らのパフォーマンスが地元・福島で観られるとあっては、迷わず二つ返事。
久しぶりにLIVE参戦する運びとなった。

左が今回のLIVE AZUMA2025の冊子、右は20年ほど前に行ったLIVE会場でもらった冊子だ。
当時のLIVEも確か彼に誘われたと記憶しているが…
よく残っていたものだと、思わずパシャリ。
とはいえLIVE慣れしているわけでもなく、こういったイベントから遠ざかっていた私は、正直うまく楽しめるか不安でもあった…
それは、若い頃とは違う荒んでしまった自己の感情で素直に聴けるだろうか?
また、急に仕事上のトラブルが起こったりしないだろうか?
若い時には考えたこともない悩みが自然に出てくる。
これが時間の経過と共にのしかかってきた「責任」というものなのかもしれない。
──LIVE前日に、遠路はるばる福島入りしてくれた友人。
「あっどうも!」と言いながら駆け寄る変わらない笑顔を見た瞬間、そんな不安はどこかに行ってしまった。
会って話すとすぐに当時の関係に戻れる。
こんな友人がいることは本当にありがたいものだ。
いざLIVE AZUMA2025へ参戦すると、メイン会場とは別にもう一つの会場があった。
メイン会場より距離感が近く、特に[ZION]というバンドの楽曲に胸を打たれる。
ただ感じる音楽はいいものだ。
建築という職業柄、いつしか根拠づけや計算、合理性にとらわれていた自分に気づかされる。
理屈や云々かんぬんではなく、「気持ちよく感じられる」それでいいじゃないかと言われているようだった。
距離が近いとやはり良いと感じた私たちは、お目当てのアーティスト出演が近づくにつれ”できるだけ前”へ行ってみることにした。
その結果、なんとRIP SLYMEの出演時には”ほぼ最前列”を確保。
20代の頃のLIVEでは、スクリーンでしか表情を確認できなかったあの場所とは違い、贅沢に肉眼で表情まで観ることができた。
しかし[One]が流れ昔を思い出すと、なぜかその景色が滲む。
"自分のために走れるのなら。そのためだけに守れたなら。"
Suのリリックが響き渡った。
皆いろいろあるけど、年を重ねたからこそ…
あらためて自分の大切なものを守ろうと思う。
自分らしく。