エコの本質
2026-6-12
体感でわかりにくい場合、比較検討のために性能が数値化される。
例えば断熱性能の話であれば、Ua値・ηa値・c値などが代表的だろう。
もはや一般化しつつあるこの数値は、どれだけ性能が良いかを示す一つの指標であるため、建築を行う上で重要なファクターとなっている。
しかし、この数値が良いというだけで、本当にクライアントの望む環境が手に入るのだろうか。
きっと答えはNOだろう。
確かに空調負荷が少なく、光熱費が抑えられる建築は財布にも地球にも優しい。
新たに建築した建物なら、30年は当たり前にその性能を発揮し続けてくれるはず…
問題なのはそのあとだ。
建て主世帯を守り続けた後、その建物を継続し使用してくれる人がどの程度いるのだろうか。
30年経てばおそらくインフラの更新がせまられ、外部に接する部分の修繕が待っている。
新築時には自由な間取りで好きなように建てることができるが、その間取りや仕様が相続人のニーズに合致するとは限らない。
運よくハマればいいが、30年もたてばまた新たな技術や設備・工法が改良され、建て替えてしまいたくなるのだ。
そうなると高気密・高断熱をうたった高性能住宅の本来の目的も本末転倒となり得る。
残された既存建築を相続する人物がもし不要だと思えば解体され、またCo2を排出…
もう一段階広い視点で建築をとらえ、100年、200年と長く使うことが一番重要なのではないだろうか。
そんな考えから一つ紹介したいのが昨年リノベーションした案件だ。
耐震補強と断熱改修を合わせ改修したご実家は、昔の記憶を引き継ぎ[3世代で暮らす多世代住宅]となった。
before

after
こちらがその事例の画像である。築50年程度の木造住宅。
玄関に立つ柱は皆が触れてきたから残したい…そんな思いを抱いていた施主。
彼はアスリートであり、自己の体調管理には余念がなく、冬でも素足で過ごされていた。
次の住まいは体調管理のためにも断熱性能の良い家を求めていたが、様々な法規制により新築することはかなわなかった。
─かなわなかった?
もしかしたら、改修すべきと導かれていたのかもしれない。
昭和50年代に建築された建物は人工乾燥の技術が少なく、ほぼ自然乾燥の木材が使用されている。
木の油分が残っている構造体は生きており、まだまだ活躍できる場合が多いのだ。
内装材を取り払えば構造体が見えてくる。
そこに我々の技術を駆使し、もう100年持つ構造体へ耐震補強を施す。
そのポテンシャルを持たせる事ができれば、また受け継がれる家となる。
数値化して表すことはできないが、これこそエコの本質ではないだろうか。
図らずも、リノベーションで受け継がれたこの家。
思い入れのある玄関柱は隣の柱と格子状に繋ぎ、耐震性を増している。
そんな役割などつゆ知らず、早くも次の世代の遊び場となったが、彼らの思い入れがまたこの建物に宿り受け継がれていけば最高だ。
以前リノベーションのイベントでブルースタジオの大島さんとお話する機会があった。
私の作品[タクミノイエリノベ2]をみて頂き、「あれが一番エコなんだよね!」と言っていただいたことを覚えている。
なんだかんだ言っても、一つ屋根の下でエネルギーを共有できることは大きく、多世代が集い暮らしていくことは[精神的]にも[物理的]にも暖かく優しいのだ。
その生活の過程が次世代の記憶に刷り込まれ、愛着が生まれていく。
この愛着こそ、受け継がれる家になるためには重要な要素となる。
いくら高性能な数値を裏付けされても、家族の思い出がなければ、ただの工業製品のような位置づけになってしまうだろう。
「なんとなく残したい」
そんな思いが持てる建築主の要望に実直に答え、技術の発展と共に建物を100年、200年と修繕しながら活用していくことができたら…
ようやくエコの循環サイクルが確立できるのかもしれない。
※当ブログは「中古・新築・建て替え」の優劣を語るものではなく、どんな住まいにも共通する“長く大切に使うことの価値”について書いたものです。