ドリップポットから感じるモノづくりの原点
2022-5-8

アッという間のゴールデンウィーク
毎年休んだような休んでないような…
そんな気分になるのは、こんなときしかできないことをしているからである。
例えば「写真整理」
カメラやスマートフォンからデータを取り込み、工事写真にまとめる…
特段難しい作業ではない「工事写真のとりまとめ」。
ただ…
とても孤独なのである。
ガラにもなくインスタのストーリーで、こんな写真を上げてしまうほど”寂しがっている自分がいる”ことに驚いた。
少しでも孤独感を紛らわせ”休日気分”を味わうため、最近購入した「KINTO」のグラスにお気に入りの豆でアイスコーヒーを淹れる。
これがまずかった。
いやコーヒー自体はとても美味しいのだが、こんな時にコーヒーを淹れると凝り性のサガが出てきてしまう…
いつもなら気にならないドリップポット…

↑こちらのカンナも燕三条で作られたものである。
刃物などの名産の地 「燕三条」と聞くだけで惹かれてしまう魅力はいわゆる「ブランド」だからなのだろうか…?
しかし、ただ生産が盛んだからというだけではこの「ブランド」は確立できないはず。
そこには職人さんの”いいものを作りたい”という思いがあってなりたっていると思う。(”Made in TSUBAME”はその誇り高き地域ブランド力であろう)
そんな”人の心がこもった物”なら愛用してみたいという気になるものだ。
モノづくりは常に使う人の事を思い作られる。
また”モノ(道具など)の使い手側”も”作りて側”の意図を十分理解し、使用すればその機能性や魅力がさらに深まるだろう。
それが、コーヒーを淹れるドリップポットでも、大工道具のノミやカンナでも、人が住まうための住宅でも…
GWの最中たまたま検討したMade in TSUBAMEの鋼製ドリップポットに、我々が造る建築とも精通する「ものづくりの原点」を垣間見たのだ。