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ジャン・プルーヴェに魅かれる理由

2022-10-3

ンテリアショップでアルバイトをしていたことがあった。
いずれ建築はやるだろうから後々役立つかもしれない。などという安直な考えであったが…
一つ困った問題になったのが「インテリア特集」の雑誌にスタッフのお部屋を載せるので撮らせてほしいという依頼だった。
雑誌に載れるのは単純にうれしかったが、正直「雑誌に載るほどの部屋」でもなかった…
少し見栄をはり、何かポイントとなるデザイナーの椅子でも置けば絵になるかもしれないと購入を検討することに。

当時ミッドセンチュリー家具がブーム(?)で1950年代にデザインされたイームズのシェルチェアなどが注目されていた。
天邪鬼なのだろうか?素直にイームズを買う気にはなれなかった。
どうせなら皆とは少し違うものを…と検討していると、不思議に魅力的に見えたのがジャン・プルーヴェ(以下プルーヴェ)の[アントニー]


Vの字の鉄足とベンディングされた木の相性が単純に気に入り、当時ほぼプルーヴェのことは知らずにこの[アントニー]を購入することに。
お世辞にも最初の座った印象では”抜群に座り心地がイイ!”とは言えなかったこの[アントニー]
(徐々に座り慣れ、今では何種類かの座り心地をその場面により変えて楽しんでいるが…)
逆に何を考えてデザインされたものなのか興味をそそられることになり、徐々にプルーヴェの本質を知ることになる。

↑写真は東京都現代美術館で行われている「ジャン・プルーヴェ展」で発行された解説本

まず椅子のデザイナーではなかった。
いや、もちろん椅子もテーブルも建築物までデザインする人であるのだが、デザインだけする人ではなかった。
自分の工場をもちスケッチをした後はすぐに工場で手を動かすエンジニア(技術者)でもあったのだ。

「つくれないものをデザインしてはならない」という理念を持っていたプルーヴェ
ディティールから入るデザインの仕方に私は深く共感していった。

というのも私自身がディティール(収まり)を考えないわけにはいかなかったからだ。
建築設計を志している若い私に”ディティールを考えるべきではない”とアドバイスしてくれる人がいた。
確かに誰にも考えつかないような発想で魅力的な建築を造るにはそういった振り切りも必要なのかもしれない。
しかし、自分で設計したものを施工し現場をまとめていくうえで「収まらない」設計はあり得なかった。

現代では分業化が進み設計と施工の距離が大きく離れたようにみえる…
それぞれの専門分野を持ち、言いたいことを言い合って出来る良い建築作品もあると思う。
しかし、設計と施工がうまくかみ合わない現場を目の当たりにしていた私は、逆に設計・施工の一貫生産にこだわることに。
そんな私にとっていつしかプルーヴェの生き方は一つの理想像となっていた。
人によっては「建築家」
また、ある人によっては「エンジニア(技術者)」
自らは「構築家」と名乗っていたそうだ…

1964年
近代建築の巨匠 ル・コルビュジェはプルーヴェに
”自己の内部に技術者と建築家を結合できた例外の人である”
と贈ったそうだ。

自称するのは簡単だが、他人に認められるのはなかなか容易ではない。
それも近代建築の3大巨匠のひとりル・コルビュジェにここまで言わせるのだから、その偉業ぶりは尋常ではない。
私にはまだその凄さの半分…いや1/3もわかっちゃいないのだが、若い時よりは理解できてると思う。



ほぼ理解できる領域に達するには、どれほどの経験と研究と貪欲さが必要なのだろうか?
そんなことを思いながら今日もアントニーに座り、打合せを進める。
完璧に理解できる日は来ないかもしれないが…
無二の木造建築を通してプルーヴェのような「構築家」に近づきたいと思っていることは事実だ。
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