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撮影時に感じた事

2024-7-23
築家は報われない。
デザインにこだわるあまり身を削ってでも、いいものを造りたいと思ってしまうからだろうか?
ただ、身を削ったからといって好き勝手出来るわけではない。
クライアントの要望を正確に受け止め、自己のフィルターを通し、建築という手法で表現していくことになる。
現場では数多くの職人さんと話し合いまとめ上げ、最終的な責任を請け負う。
時にうまくいかないと、なぜこの業界はこんなにも理不尽なんだと思ってしまうほどだ。



正直、若い時には異業種の方が気が楽なんじゃないかと思うこともあった。
何度かやめようと思うことも…
ただ中途半端では終われない独自の業種。
どうせやるなら、できることは[誠心誠意クライアントの立場でモノ造りをすることだ]と私自身の性分がそうさせていた。

それから1棟、また1棟と積み重ねだんだん責任感が増すようになってくる。
信頼は一度失ってしまうとそこまで。
継続することに意義を見出してきた。

責任と信頼を全うすべく継続していると、自分の思うとおりに造れる喜びを感じれるようになっていった。
いつからか、「素敵ですね」と共感してくれる人もできた。
報われないなどという思いはクライアントからの感謝の一言ですべて消え去るようになり気づかされる。
負の思いを抱くということは自分の力量が足りてないからだと…



↓下記画像は引き渡した後、撮影のため初めてお邪魔させていただくことになった[納屋リノベ]
家具が入りクライアントの生活に馴染んだ姿があらわになった。
施工前を知っている者として、その感動は言葉で言い表せず…
ただただ、ずっと見ていられるものである。

撮影終了後お礼メッセージを送ると返信コメントに胸が熱くなる。
「お気に入りの我が家を、これからも育てていきたいと思います。」
建築家としてこんなにうれしいことがあるだろうか?
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