当社は創業 明治10年より現在の福島県二本松市針道の地で神社仏閣や住宅建築を中心とした活動を展開し、三代目 齋藤 守の代(平成5年)より有限会社 齋藤工匠店と商号を定め現在に至ります。
一代目 齋藤 福松はどんな思いでこの針道という地で建築大工を始めたたのか、(当時 齋藤大工)私には正直わかりませんが、きっと自分の孫の孫が同じ生業で生計を立てているとは思わなかったのではないでしょうか?
申し遅れました。私は齋藤工匠店 伍代目 斉藤 守平と申します。
「守」は三代目からいただき、読み方は音読みのシュに「当て字」で伸ばし「しゅうへい」と読みます
一代目 福松 ふくまつ
二代目 甚作 じんさく
三代目 守 まもる
四代目 守司 もりじ
伍代目 守平 しゅうへい
こう並ぶと、さぞかし由緒正しい大工家系と思われがちなのですが、私は学業を終えた後すぐに家業に従事したわけではありませんでした。
建築系の学部を卒業後そのまま東京の建設会社・設計事務所に勤め、当時「このまま働いていられるならそのままでもいいかも…」と思っており…
しかし、自分を取り巻く環境は変化していきます。
実の母親に病気が発覚
余命○○年とはっきり言われたわけではありませんでしたが、当時勤めていた会社を退社し帰郷しました。
数年、自分にできることは何なのか探りながら、右往左往する中、母はやはり病気に勝てず他界…
それからは四代目と共に支えあい、時にぶつかりあいながら、時代と共に変化する建築の様式・工法・技術、性能、デザイン、設備そしてこの会社のありかた等考え模索して参りました。
他の会社で現場管理・設計の職種の経験しかなかった自分にとって「大工」の伝統在来工法の技術や、棟梁としての役割、経営者としてのお客様への寄り添い方など、四代目から受け継ぐことは多岐にわたりました。
いや…
今でもまだまだ考え、学ぶべき事はたくさんあります。
しかし、最近は四代目にも少し認められてきた気配を感じることと、自分への自信を自負するようになった今日この頃…
これからは自分の考えも取り入れ、下積み時代の建設会社・設計事務所で吸収したエッセンスを取り入れ、恵まれた最高の仲間と共に最高の建築作りに邁進していこうと考えております。
140余年の歴史に恥じぬよう、先代の誇り高き大工魂を受け継ぎ 齋藤工匠店は次の100年…創業200年に向け動き出しました。
一歩一歩、着実に歩んでいく所存です。これからの齋藤工匠店にも是非ご期待ください
~今までもこれからも100年匠の技~
齋藤工匠店は先代から引き継いだ伝統の技を継承するとともに、時代とともに変化するお客様のニーズにお答えできるよう 技に磨きをかけ、研究を重ね日々精進してまいります。
四代目 齋藤 守司
伍代目 斉藤 守平
先代の残したもの
上の画像は一代目 齋藤 福松が針道地内の蔵を築造したときに残した”大栓”
「大工棟梁 齋藤 福松 五十八才」
「大正七年五月拾四日」 と確かに印されている